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東日本大震災を生き延びた小学生がJKMAXへ体験入店



みなさんはじめまして!
ぱぴこです🍦(絵文字がなかった)




私は普段、大学生をしています✏️
女性アイドルとご飯を食べることが大好きです(⁎˃ᴗ˂⁎)


体験入店からドキドキしながら接客しているのですが、皆さんが優しく接してくださるので安心しました!
本当にありがとうございます😊
乃木坂のお話で盛り上がることもありました✨


話は変わりますが、実は私、宮城県石巻市出身で2011年に東日本大震災を経験しました。





2011年3月11日、私はまだ小学5年生。地震が起きた14時46分は金曜日の3時間目です。家庭科の授業で調理実習のクレープを作っていました。


地震が起きたのは突然です。「強い縦揺れ」とニュースであの頃頻繁に報道されていましたが、校舎全体がひっくり返されるような衝撃を感じました。


「火を止めろ!」と男子が叫んでいたのは聞こえたのですが身動きが取れなくて、ガスコンロを見る余裕ありません。家庭科室の棚にあった食器が斜めに傾いて棚の中でガシャガシャ割れていました。


最初の大きな揺れがおさまって周りを見ると女の子みんな大号泣。泣いていた友達2人の所へ駆け寄って、2人を両脇にかかえて「大丈夫だよ」と声を掛けました。


先生が「様子見て来る!教室から出ちゃ駄目よ!」と慌てて割烹着のまま家庭科室から飛び出して行ったのですが、一向に戻ってきません。


家庭科室の窓から校庭を見ると全校生徒が外へ避難していて教頭先生が「何してるんだ!早くこっちへ来い!」と叫んでます。男子が「吉野(担任のオバちゃん先生)に待ってろって言われて、まだ帰ってこないんだよ!」と言い返すと、吉野先生は既に校庭に居て携帯電話で何かを見ていました(割烹着だし頭に三角巾つけてるから目立ちます)。何十年経っても「あの時の吉野は最悪だった」とクラスメートが集まれば話すことになるのでしょう。


想定外の出来事が起きると避難訓練は何の意味もありません。クラス全員で一斉に階段を駆け降りて校庭へ逃げました。


校庭で皆が泣きながら保護者を待ちます。学校の電話は繋がらず、保護者が来てくれるかどうかも分からずただ校庭で待つだけの時間は異様に長く感じました。めちゃくちゃ寒かったので校舎に入って待ちたかったのですが「倒壊するかもしれないから入るな」と先生たちに止められます。


クラスメートの親が次々に校庭へ迎えに来てくれて、抱きかかえるように自分たちの子どもを連れて帰っています。絶対泣かなそうなクラスメート男子T君が、お母さんが迎えにきたのを見てわぁー!と泣いていました。


何の連絡も出来ない状態なのに学校まで来てくれて迎えに来てくれる。親って凄いなと思いながら、私も自分の家族を信じて校庭で待ち続けました。早く迎えに来て欲しいと思っていました。でもこの時はまだこれがこんなに大ごとになる災害だとは気づいていません。めちゃくちゃ大きな地震が起きたから、学校全体が早退になるのかくらいしか思ってませんでした。


はっきりと時間は覚えてないのですが、地震が起きてから30分か1時間後くらいにお父さんとお母さんが学校へ迎えに来てくれました。残った生徒は各先生が家まで送ろうという話になっていた頃です。お父さんお母さんと会えて嬉しかったというよりホッとしていっぱい泣きました。


やっと帰れると思って家まで車で戻ったのですが、家が床下くらいまで浸水しています。ゴロゴロと雷のような音が遠くから聞こえて、なにか様子が変だなと思っていたら、津波が遠くから近づいているのがはっきり見えました。





必要なものを部屋に帰って持ってきたかったのですが、父に「また明日取りに行けばいい」と言われ、近所の人と家族と一緒に津波から高台へ逃げました。





この日は避難所で一泊します。


翌朝に家があった所に戻ると家はありませんでした。





私の家は全壊になってしまい、次の日からは避難所での生活になりました。避難所では家族に柿の種小さい袋が1つ。バナナが1本支給されたときは本当に嬉しかったです。





避難所に設置されたテレビを全員で観て、相当大変なことが宮城県で起きていると分かりました。事実今の私たちの状況は相当大変なのですが、どこかまだ信じられない出来事で避難所にいて家も無くなっているのに実感が湧きませんでした。まさかそんな…という気持ちです。


避難所で学校の友達と会って「生きてて良かったね」と話し合いました。残念ながら亡くなってしまったり行方不明のクラスメートも居て、そんな話を聞くたびに胸がチクチクザワザワします。


顔見知りと会うたびに「大丈夫でしたか?」「元気!?」などと立ち話になり、お互いを励まし合っていました。


苦手だったクラスメートの男子Y君から「よお!」と声を掛けられた時も「生きてて良かった」と伝えて、相手からもそう言われました。Y君はお母さんが行方不明のままなので毎日家があった瓦礫の周りを歩き回っているそうです。


私は毎日、仲の良いクラスメートとお互いに他の避難所や色んな会社や団体、ボランティアからの支援物資目当てに歩き回り、食料をゲットして分け合います。私たちはまだ小学5年生でしたが、今周りに居る人を頼らないとどうなるか分からないと理解していたのかもしれません。友達家族に赤ちゃんや小さい子どもがいたのでその子たちにできるだけご飯やお菓子が食べれるようにと皆で可愛がります。


「折り鶴も届いてるけど要ります?」と色んな所で言われましたが折り鶴よりもティッシュが欲しかったです。


親戚の安否を確認したくて、毎日色んな避難所を探し回っていました。最悪の事態も考えて、遺体安置所も探しました。





毎日のように歩き回っては寝て、避難所のテレビやTwitterで状況を確認して…の繰り返しで住む家も無くなってこれからどうなってしまうのか気持ちの整理が全然追いつきません。





私たち家族は体育館の隅で身を寄せ合うように眠っていました。絨毯は敷いてあり支給されたブランケットのような薄さの毛布はあるのですが、板張りの床は氷のように冷たく、ベッドで寝れるのはいつになるのだろうと途方に暮れます。





朝になっても疲れて起き上がる気力が無い人も体育館を見渡すと沢山いたのですが、私たちを一斉に目覚めさせたのはやはり不気味な余震でした。ゆらゆらと床が揺れると同時に、悲鳴と共に皆が身体を一斉に起こします。小さな子どもが「ヨシン!ヨシン!」と甲高い声を上げていました。高い天井につけられた体育館のライトが小さく揺れて、寝ている間にあれが落ちてきたらどうしようと怖かったです。


空にはいつもヘリコプターが飛んでいました。テレビ局のものです。彼らはあのヘリから撮る映像を、興奮したアナウンサーの言葉と共に全国へ流しています。視聴者たちはニュースを見て、驚き、心配し、同情し、最後には自分たちの身に起こらなくて幸いだったと胸を撫でおろすのでしょう。


見慣れた町並みが泥と瓦礫になっていて、とても悲しい気持ちになりましたが、それでもみんな必死に生きようとしていました。





怖い経験だったし思い出したくない人もたくさんいると思いますが、こうして言葉にできる人が伝えていくべきことだと私は思います。この経験を糧に強く生きていきます!

暗い話になってしまいましたが、これから明るく楽しくみなさんと素敵な時間を過ごしたいです!リフレのバイトはじめたばかりでまだまだ不安なこともいっぱいあるけど、ぜひぱぴこに会いに来てください🍦✨



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ぱぴこさんありがとうございました!


東日本大震災を経験した事を公表してくれてありがとうございます。


避難所生活を続けたぱぴこちゃんは、小中高を無事に石巻市で卒業し、念願だった東京上京を今年4月に達成します。


「東京に行こう」と決意したのは、奇しくも避難所生活をしていた小学生の頃でした。


次々と物資が東京から運ばれてくるのを目の当たりにし「やっぱり日本の中心は東京なんだ、東京に行かないとどうしようもない」と本能的に感じたと言います。


そして東京で生きるため、東京で稼ぐため、選んだ場所がJKMAXでした。




なぜJKMAXなのか。それは、ぱぴこちゃんにお会いした時にお尋ねしてみてください。


意外な理由ですが、この過去でしたら納得できるものでした。


ちなみに、ぱぴこちゃんを面接してぱぴこの名をつけてくれたのはさくたろうさんです。この名前を聞いた瞬間どういじろうかワクワクしていたのですが





お会いしてみて超上玉じゃないか!と驚き正攻法でいかねばと身を引き締めたのです。




宣伝写真を撮り終え「ご出身はどちらなのですか」と聞いてから、上記に掲載した震災の話。


出身地を答えた後に日本人ならば誰もが同じリアクションをするので、そういうリアクションをされることは慣れている様子でした。


2011年3月といえば、日本で初めてのJKリフレが池袋で生まれようとしていた頃です。


この地震が起きた時、皆様はどこで何をしていましたか?


私は夜勤終わりだったので東村山市の家賃4万円ボロアパートで寝ていました。


せっかく始めたばかりのバイトもこの地震がきっかけで無くなってしまい、別のバイトを探すために雑誌ドカントを読み漁りながら緊急事態なのでTVニュースを流していたニコニコ動画を観ていたのを覚えています。





地震翌日に面接へ行ったバイト先でさくたろうさんと知り合えたので今思えばこの地震で人生は大きく変わったのでしょう。


日本人なら誰しもが東日本大震災から何かしらの影響を受けています。

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